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あきあわは、樋口一葉を読んでみた [自由研究]

虫むしの声こゑ

樋口一葉



 垣根かきねの朝顔やうやう小さく咲きて、

昨日今日葉はがくれに一花ひとはなみゆるも、

そのはじめの事おもはれて哀れなるに、

松虫すゞ虫いつしか鳴なきよわりて、

朝日まちとりて竈馬こほろぎの果敢はかなげに声する、

小溝こみぞの端はし、壁の中など有るか無きかの命のほど、

老おいたる人、病める身などにて聞ききたらば、

さこそ比らべられて物がなしからん。

まだ初霜は置くまじきを、今年は虫の齢よはひいと短かくて、

はやくに声のかれがれになりしかな。

くつわ虫はかしましき声もかたちもいと丈夫ぢやうぶめかしきを、

何いつしか時ときの間まにおとろへ行くらん。

人にもさる類たぐひはありけりとをかし。

鈴虫はふり出いでてなく声のうつくしければ、

物ねたみされて齢よはひの短かきなめりと点頭うなづかる。

松虫も同じことなれど、名なと実じつと伴はねばあやしまるゝぞかし。

常盤ときはの松を名に呼べれば、

千歳ちとせならずとも枯野の末まではあるべきを、

萩はぎの花ちりこぼるるやがて声せずなり行く。

さる盛りの短かきものなれば、

暫時しばしも似あへよとこの名は負おはせけん、

名づけ親ぞ知らまほしき。

 この虫一ひととせ籠こに飼ひて、露にも霜にも当てじといたはりしが、

その頃ころ病ひに臥ふしたりし兄の、

夜よなよな鳴くこゑ耳につきて物侘ものわびしく厭いとはしく、

あの声なくは、この夜よやすく睡ねむらるべしなど言へるも道理ことわりにて、

いそぎ取とりおろして庭草の茂みに放ちぬ。その夜よなくやと試みたれど、

さらに声の聞えねば、

俄にはかに露の身に寒さぶく、鳴くべき勢ひのなくなりしかと憐あはれみ合ひし、

そのとし暮れて兄は空むなしき数に入いりつ。

又の年の秋、今日ぞこの頃ごろなど思おもひ出いづる折しも、

ある夜よふけて近き垣根のうちにさながらの声きこえ出ぬ。

よもあらじとは思へど、唯ただそのものゝやうに懐かしく、

恋しきにも珍らしきにも涙のみこぼれて、この虫がやうに、

よし異物ことものなりとも声かたち同じかるべき人の、

唯今ただいまここに立出で来たらばいかならん。

我れはその袖そでをつと捉とらへて放つ事をなすまじく、

母は嬉うれしさに物は言はれで涙のみふりこぼし給ふや、

父はいかさまに為なし給ふらんなど怪しき事を思ひよる。

かくて二夜ふたよばかりは鳴きつ。

その後ごは何処いづこにゆきけん、仮にも声の聞えずなりぬ。

 今も松虫の声きけばやがてその折おもひ出いでられて物がなしきに、

籠こに飼ふ事は更さらにも思ひ寄らず、

おのづからの野辺のべに鳴弱なきよわりゆくなど、

唯ただその人の別れのやうに思はるゝぞかし。


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